代表からのご挨拶

はじめに

2011年3月11日午後2時 東日本大震災がおこりました。

ものすごい映像を今なお脳裏に焼き付いて忘れることができない出来事でした。

そして、さらに福島第一原子力発電所の事故。計画停電、多くの補償問題等いまだ解決の方向すら見えません。このままで、私たちのいままでの生活は維持されたり、戻ってくるのでしょうか?

日本のエネルギー政策はどうなっていくのでしょうか?私たちは、今の生活を変えなくてもいいのでしょうか?日本中の人が不安を抱えているのが現状でしょう。私自身も同じ気持ちです。

ドイツに学ぶ

日本から時差8時間、飛行機で12時間飛んだ所に、かつて第二次世界大戦で日本と同じように敗戦し、同じように戦後復興し経済成長し経済大国となり、世界有数の富める国にになったヨーロッパのドイツの事を考えてみたいと思います。

ドイツと日本は、実は今言ったこと以上に似ているところがあります。どちらの国も国民性がまじめで堅実、であるとか、中小企業の職人的技術力がずばぬけているところとか・・いろいろあります。

しかし、ここ20数年の両国の動きには、似ているようでずいぶん違うところも実はいっぱいあるのです。たとえば、太陽光発電についてです。現在世界でもっとも設置が進んでいるのはドイツです。数年前まえまでは、我が日本が太陽光発電においては世界のトップを走っていました。しかし、現状では設置数においては、10倍の開きができています。

なぜでしょうか?私は、ドイツに行った時、さぞや彼の国の住宅の屋根は、太陽パネルだらけだろう、と考えていました。ところが、ほとんどの屋根に太陽パネルは設置されていません。その光景に大変不思議に感じました。どこにあるのだろう・・。

彼の国では、太陽パネルは、公共施設や遊休農地など広大な敷地に日本では考えられないスケールで設置されているのです。

現状の日本のエネルギー制度

日本でも、京都議定書以来、太陽パネルの設置に関しては、国や地方自治体の補助金という形で設置を促し、最近では、電力会社による買い取りもおこなうようになってきました。いわゆるフィードインタリフ制度をようやく導入してきました。

しかしこの内容はドイツとくらべるとずいぶん違うものになっているようです。

非常に大まかな比較になりますが、現状の制度で日本では月額一世帯当たりの負担額が約100円、補助金と発電した電力の買い取りしかも買い取りは「余剰電力のみ」10年間、ドイツでは、約330円で20年間「優先的に」「全量」買い取り保証なのです。

それぞれの機器の性能などは、日本もドイツも変わりません、どころか日本のほうが優れているものも多いでしょう。しかし、国の制度は決定的に違うのです。

これは補助金制度と投資を促す制度の違いだと、私は考えます。

ドイツの森林町と森林の調和

ドイツと日本の森林

次にドイツと日本の森林の話をしましょう。

まず、概要ですが、国土面積に対する森林面積の割合、日本は、66.8%、ドイツが30.7%。次に国民一人当たりの森林面積、日本(人口1億2000万人)が0.2ha、ドイツ(人口8100万人)が0.1ha。森林の多さで言うと日本のほうがはるかに恵まれています。しかしながら、木材自給率を比べてみますと、日本は、国産材の自給が27.8%(平成21年)です。なんと世界的な森林国なのに70%もの木材を海外に依存しています。かたや、ドイツは、木材自給率は100%自国で賄っているのです。なぜこんなことになったのでしょうか。

よく、日本ではコストがかかりすぎるから木材自給率が上がらない、という話を聞きます。ここでいうコストとは、何でしょう。人件費でしょうか?人件費なら日本もドイツもかわりません。急峻な山地のせいでしょうか?ドイツも木の代表的な産地である“黒い森”などは、結構急峻な山岳地帯です。

いくつかの複合的な問題があると思いますが、まず日本には国産材を使わなくてはならない、という意識が国にも国民にも少ないのではないかと思います。日本人は、「見た目が同じように見える木だったら国産材でも外国産材でも、安い方がいい。」そう考える方が多いのでなないでしょうか。ドイツでは、まず国産材ありきです。国内の木材を利用することが、国内の森を守り、森を守ることが国内の環境を守ることにつながり、ひいては一人一人の国民を守ることにつながるという意識を多くの方が持っているのです。どうも日本は単位の話で物事が進み大局的なところから物事を考えてないような気がします。

日本とドイツの思想の違い

もうひとつ両国の都市交通について考えてみます。

日本特に地方都市においては車による通勤ラッシュは、依然深刻な問題です。

大都市と比べて公共交通機関が主にバスくらいしかなく、そのバス専用路線も道路の狭さとマナーの悪さで充分には活用できていません。また本数も少なく普通の人が足として使うには、自家用車とくらべあまりにも不便です。日々の生活にはどうしても自家用車を使用してしまい、渋滞が発生し、これだけ道路があるのにまだ道路を作らなくてはならなくなる・・。道路が増えて便利になるとまた車が増える。省エネといいながらエネルギーが必要になる。では電車を、と考えてもいまさら地方では経営が成り立たず倒産してしまう・・。

対して、ドイツの地方都市であるフライブルグという街は、人口25万人ほどの街ですが、商業地区のにぎわいは東京の渋谷や秋葉なみです。住民のほとんどが、公共交通の路面電車を利用してやってきています。この街は20数年前から町の中心部から自動車をおいだして日本では考えられないほどの路面電車網を作りだしてきているのです。市民の足は充実した路面電車網と自転車(自転車交通もすごく進んでます)、徒歩で車を持っていなくても何の問題もありません。また、どうしても車が必要ならば、カーシェアもすごく進んでいます。結果エネルギーの消費は必要最低限になっていく・・。

ドイツ フライブルグの町並み
▲ドイツ フライブルグの町並み

ドイツは、ベンツ、BMW、VWなどの大企業があり自動車発明の国なのですが、都市から車を追い出そうとしているのです。自動車産業がつぶれると困る(しかし、自動車産業はその売り上げのほとんどが今や海外ですが)からエコカー減税で車を売りまくった日本とはずいぶん違う気がします・・。

誤解してほしくないのは、私は車を否定しているわけではありません。

地方に暮らす私たちにとって車は現在なくてはならないものです。私たちが豊かになったのも車のおかげであるのは間違いありません。

しかし、車は便利と引き換えに、大変な量のエネルギーを必要とする(お金も必要ですね)のもまた事実です。大半のドイツの人は、今の便利さより将来のエネルギー不安をより重要と考えていることが日本人にはすごいという思いとともに不思議な気持ちがします。

森の話にしろ、都市交通にしろ、そして国運おも左右するエネルギー政策においても、同じように戦後を過ごした日本とドイツですが、どうしてこのような違いができたのでしょうか。

これは両国のビジョンの差だと思います。

ドイツという国は、過去エネルギーにおいては、ロシアからの天然ガスと中東からの石油が主なものでした。ところが、ロシアの天然ガスにしろ中東の石油にしろ外国に自国のエネルギー政策を牛耳られるということに国が発展すればするほどドイツ国民は非常に不安を感じたといいます。その結果、“エネルギーを自給できる国をめざす”というビジョンが出来上がったのです。だから、木材自給率が100%になったり、都市から車をおいだしてまで省エネルギーをおしすすめたり、太陽光発電や風力発電などの再生可能なエネルギーを国家を上げて普及させようとしているのです。ビジョンがはっきりしているから具体的な政策が次々と展開されているのでしょう。

方や我が日本は戦後、アメリカをお手本に大量生産、大量消費をおしすすめ加工貿易という手段で世界に名をはせました。木材も原油も大半の材料を海外から安く仕入れて高度な加工を施し世界に売る、このやり方を現在でもおしすすめようとしているのが日本の姿です。“物を買えば幸せになれる”“どんどん物を買えば国が栄える”たしかにバブルがはじけるまでは、このビジョンで私たちは幸せになってきたのは事実だと思います。しかしその後、同じ手段で後から追い上げる韓国や中国に太刀打ちできずにいるのもまた事実なのではないでしょうか。

“物を買っても幸せにはなれない”私たち日本人は頭の中ではみんなが気付いているはずです。しかし、きびしい資本主義の流れのなかで生活していると明確な方向性を考え出せず悶々とした日々を多くの人が送っているのではないでしょうか。いまさら自給自足などできない、生活するために物を売ったり買ったりするのをやめることはできない・・。

私はそれをやめる必要はないと思います。ただ考え方を変える必要はあるのではないでしょうか。いまこそ“温故知新”ではないでしょうか。

貧しかったころ(私たちの父や祖父の時代)の日本には、“物を大事にする”という精神があたりまえのようにありました。今のように“ものすごく安いもの”もなかったと思いますが、使い捨ての文化はありませんでした。みんなが“物を大事に”していた世の中だったと思います。私は、高価なかばんや家具を買うことに反対ではありません。むしろ買える人はどんどん買ってほしいです(経済をまわすため)。しかし、そうして買った物をぜひ、大事にしてもらい、できれば自分の子供や孫にあげて使ってもらいたいのです。ものづくりをする国だからこそ物を大事にしていきたい。

昨年、トイレの神様 という歌がはやりました。どうしてあの歌が今流行ったのでしょうか。あの歌の歌詞を思い出して下さい。「トイレを掃除すると美人になれる」という意味のフレーズは、私たち多くの日本人の精神の奥にある感情を刺激したのではのでしょうか。

あの歌がはやったのは恐らく今の日本の現状に多くの日本人が不安を感じているからです。資源のない、人の工夫だけで発展してきたこの国の国民が物を大事にしなくなったらバチが当たるのでは・・と多くの人が感じているのだと思います。

「八百万の神々」という言葉が日本にはあります。これは、森羅万象全てのモノに神が宿る、という世界に誇る日本の精神文化です。私も子供のころ鞄をなげすてて遊びに行こうとすると、おばあさんに、「鞄にも神様がおるんやで。大事にせんかい」とおこられたものです。

今回の震災で、物を分け合って助け合ってすごしている被災者の方々の映像をみるにつけこの思いがつのります。今回の震災は第3の開国(明治維新、太平洋戦争戦後に続く)と呼ばれているそうです。新しい時代に向けて日本は大きなターニングポイントを迎えているのだと思います。本当に開国できるかどうかは、私たち日本人一人一人の考え方にかかっているのだと思います。 

石川組の家づくり

私たち石川組はこうした思いを胸に、家づくりを続けていこうと思います。

お客様のライフスタイルをかたちにし、何年も何世代も“大事にできる家”をつくっていきたい。

これがi-dessin 石川組の考え方なのです。

(株)石川組代表 / 株式会社低燃費住宅四国代表 石川義和